あんこ日記

仕事も育児もほどほどのゆるワーママ

仕事のモヤモヤと畳み人と資本主義

上司の上司から、店舗運営を改善するために協力してほしいと仕事を振られた。それを実行に移そうとするも、一人でするのは業務量的に無理だし、協力も仰ごうにもイマイチ乗り気になってもらえない。というか、変化したそうにみえない。なんだか一人で空回りしている気分。そして、なにより自分自身がその業務に意味を見いだせないでいる。異動前の店舗では、会議で意見を出し合って、運営方法をみんなで模索してたので、今の店舗の属人的なやり方に戸惑いがあるうえ、情報を共有するという観点が上司に欠如しているところに、なんかモヤモヤする。

 

上司はメモも取らないので、同じことを何度も聞いてくる。情報共有手段であれタブレットの使い方もおぼつかない。お客さんに迷惑が掛からないように、こちらが先回りして確認すると、その作業に膨大な時間がかかり、本来やりたい仕事ができない。どうして仕事を覚えようとしないんだろう。効率化しないんだろう。なんて気持ちが沸き上がるたびに、私はミヒャエル・エンデ著『モモ』に登場する時間泥棒になった気がして、自分がいやになる。仕事では、効率化を進めようと頑張るが、この効率化には意味があるんだろうかと薄々感じている。実はもっと上司みたいにのんびりしたいのかな。でも、それでは会社に売り上げが上がらない。そもそもこの事業に存続の意味はあるのか。考えが堂々巡りで、何から手を付ければいいのか、どう考えを整理すればいいのかわからない。

さっき聴き終えた本『「畳み人」という選択――「本当にやりたいこと」ができる』では、仕事の大きなプロジェクトを着実に実行していく人(=畳み人)の視点が、著者の実体験をふんだんに盛り込んで説明されていた。ビジネスで成功する人は、愚直に目の前の仕事に取組みながらも、自分で勉強をし、そのプロセスを楽しんでいるのはよく分かった。分かったけれど、まったく共感できなかった。資本主義の世界ではビジネスで成功することが大切だし、新しい価値を創造することが収益につながるからこそ、著者のような方が活躍する。資本主義の問題提起する本を読んだばかりで、自分の仕事への疑問も抱えている今の私には、その新しい価値は本当に意味のあることなのか、という懐疑にしか受け取れなかった。ある意味、『モモ』や『人新世の「資本論」』と真逆の本。バリバリ仕事したい人にはおすすめの本。人生の意味を考える人には、とても些末に見える本。という気がする。

 

今の資本主義の世界で成功したいなら、畳み人のように仕事をするのが得策。ただ、本当に心からそれがやりたいことなのかと言われると、まったくそうではないのが本音。自分にも誰かにとっても意味のある仕事で、生きていける程度の収入が得られればいいのだろうけど、バランスをとるのはなかなか難しい。はぁ。